矢野 由実加

今治市子育て応援ステーションばんび
マネージャー

短期大学部 幼児教育学科 卒業
2002年新卒入社


入社後、今治福祉園に配属され、以来、知的障がいをお持ちの方、特に強度行動障害と呼ばれる自傷や他害行為などの問題行動のある方の支援に従事。自閉症スペクトラムの支援である構造化支援の導入にも最初期より現場の中心となって関わってきた。現在、四人の子どもを育てる母の顔を持ちながら、児童発達支援センターの責任者として公私ともに活躍している。

センター試験の結果が悪かったことが
福祉の道に進んだきっかけでした。

実はセンター試験の結果が驚くほど悪かったことが私を福祉の道へと導いてくれました。
もともと教員志望で、大学も教育学部を目指していました。ですが、センター試験の結果が非常に悪くて、滑り止めに受けた短期大学に進学したのが福祉の道にすすむきっかけでした。そこで保育士になるために勉強をしていたのですが、まわりの雰囲気に馴染めていなくて、保育士には向いていないのではないかと悩んでいました。そんななか実習で知的障害者更生施設(当時)に行ったところ、こんなに面白い仕事があるのだと感動しました。施設の職員の方からも、あなたには障がい支援の仕事が向いているよと言われて、うれしかったことを覚えています。
そこで障がい者施設に絞って、実家の近くで就職先を探していたところ、募集をしていたのが来島会でした。当時、応募者がとても多くて、絶対落ちたなと思って、他の企業を受けていた時に内定の連絡がきたことも今ではよい思い出です。未だにどうして私が採用されたのかはよくわかりません(笑)。

こんなに楽しいことをして
こんなに給与をもらってよいのかと感じる毎日。

入社後は今治福祉園に配属され、支援業務に従事していました。今思い返せば、本当に稚拙な支援でご利用者様や同僚に迷惑をかけたなと反省ばかりですが、当時は試行錯誤しながらご利用者様に向き合えば、しっかりと反応を返してくれる、そんな毎日が楽しくて、こんなに楽しいことをして、こんなに給与をもらってよいのかと思う日々でした。
数年が経ち、中堅職員として勤務するなか、構造化支援を今治福祉園へ浸透させていく現場の中心としての役割を担うことになりました。今でこそ、来島会で支援の考え方として浸透している構造化支援ですが、当時は過渡期で、どのような考えに基づくものなのかも十分に理解しないまま、支援に導入したため、支援員間での導入賛否に関する軋轢は激しいものでした。そんななかでも、わかってくれる仲間や、理解を示してくれる先輩に支えられて、徐々に構造化支援が効果的と考える職員を増やしていくことができました。

走れるところまでやってみよう!

私生活でも、結婚、出産、育児と充実した日々を送ってきました。子どもがうまれてはじめて、子どもを施設に預けている親御様の気持ちが少しだけかもしれませんがわかった気がします。以前、ある親御様に障がいを持つ子どもを育てる苦労について、それは大変でしたねと言葉をかけたことがあったのですが、そんな簡単な言葉で片づけてほしくないとお叱りを受けたことがあって。今、育児をして、そのお叱りの気持ちが本当の意味でわかったのかなと思います。
今は児童発達支援センターの責任者を任されていますが、保育士に向いていないと思って障がい支援の仕事を選んだのに不思議だなと思います。実際に従事してみると、児童だからこそ、発達のステップが目に見えてわかることが多く楽しい面も多いのですが、その反面、この子どもの将来が自分たちの支援にかかっているのだと責任を強く感じています。走れるところまでやってみよう!と、久々に書籍を購入して、勉強の毎日です。

学生・求職者の皆さまへ。

仕事に関係がなさそうと思っても、興味を持てたことには色々とチャレンジしてほしいです。私、お菓子づくりが趣味で、仕事に役立つことは絶対にないと思っていたのですが、あるとき施設のイベントでご利用者様へ料理教室をすることになって、お菓子づくりの経験が活きたことがありました。福祉の仕事は自分自身の様々な経験がつながっていく、そんな仕事だと思います。

ある1日の仕事

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